さかなノート

いろいろ

蒸している

梅雨だ。日本の夏である。

暑い。夜でも暑いのが参ってしまう。

シャワーを浴びて早めに寝てしまおう。

寝苦しい夜だが、日本の夏の夜はこんなものである。

清少納言がいた頃はおそらくもっと涼しかったのだろう。

 

夕方、少し運動してきた。

だいぶストレス解消にはなるようだ。

運動音痴の私でも、週に1回、運動するようにしている。

健康のためである。

毎日大変ではあるが、適当にやり過ごそうと思う。

私は何がしたいのか

私は何がしたいのか。

それが問題である。

特に何もしたいことはないのだ。

適当な服を着て、顔を洗い、飯を食べ、茶を飲み、排泄し、散歩し、風呂に入り、寝られれば、いうことはない。

普通に衣食住ができれば十分である。


欲がないというのも、その意味では参ってしまう。

しかし、たぶんなんとか生きていくことはできるのではないかと、漠然と思っている。

頭痛

今日は頭痛でしんどい一日だった。

天気が悪いし、寝すぎで水分不足だし、ストレスは多いし、そんな複合的要因によるものだと思われる。

全く困ったものである。

面白いことがなかなかない。

つまらないことばかりである。

それでも生きていかなければならないのが人生だ。

 

面白いことに、どれだけ頭痛がひどくても、思考というのはなかなか止められないものだ。

ろくでもないことをあれこれ考えている。

やめればいいのに、ずっと何かしら人間は考えている。

不思議なものだ。

生きるということ

生きるというのはどういうことなのだろうか。

毎日仕事をして、つまらない生活をして生きている。

慰みものといえば、本を読むことくらいである。

それくらいしか愉しいものもない。

 

労働者は金持ちになることがない。

だから、愉しいことばかりして生きるということができない。

毎日、食べていくための金を稼いで、ほんの少し慰みものを享受し、それで終わりである。

ほとんどの人間は労働者であるから、そういう生活をしているわけである。

 

まあ生きるなんてそういうものではある。

しかし、それでもわりと愉しく生きることはできるのではないか。

その解答を日々出しながら生きていくほかないのだろうと思う。

日々を過ごす

土曜日、久しぶりに友人に会って酒を飲んだ。

一体どれくらいぶりなのか、というくらい間が空いた。

なんという幸福感だろうか。

こういうことの重要性がよく分かる。

人間的な生活というのはこういうものであろう。

 

不要不急という言葉が巷にあふれているが、重要または緊急のことばかりやっているのが人間ではない。

もちろんウイルスに感染しないよう気をつけなければならないが、人間として生きているわけであるから、友人と酒を飲むという文化的なことをなくしてしまうのは、やはりやりきれないものである。

 

そんなことを実感した週末だった。

要するに

要するに、つまらない仕事をどうやって面白くするか、ということである。

これに人生、ほとんどすべてがかかっている、といってもよい。

本当につまらなくて、先週は精神がおかしくなった。

心療内科に行ってきたが、案外先生は普通のおじさんという感じで、悪くなかった。

薬を飲んで寝ていたが、昨夜は5回くらい起きたが、薬なしでなんとか眠れた。

改善しているということである。

 

ストレスが溜まってしまうのである。

だから、自律神経失調症にもなる。

まあ薬で、それがだいぶ正常状態に戻ってきたということだろう。

医者に外に出たりしてストレスを発散するよう言われたので、今日も寒かったが散歩に出た。

悪くないものだ。

 

結局、人間は金を稼がないといけないから困る。

食っていく金を稼がないといけないのだ。

これが面倒くさい。

しかし、仕方なく仕事をやる、という構造になっている。

参ったものである。

 

しかし、これもしょうがないことだ。

なんとか、いい環境を作るよう、うまいことやらなければいけない。