さかなノート

いろいろ

目的

なんらかの目的を持って生きるのもいいかもしれない。

私は昔から目的を持つことが苦手だったように思う。ちょっとかったるいのだ。だからどうなるか分からず、なりゆきまかせである。正直に言って常にそうだ。何か大きな目的を持って行動するというのが、非常に面倒くさいのである。要するに、面倒くさがりなのだ。

それでも何か私がやるとしたら、それが私の心を引きつけるからである。友人に会うこと、実家に帰ること、甥に会うこと、いい本を読むことなど。これだけ面倒くさがりの私を行動せしめるのだから、それらの魅力というのは凄まじいものがある。すごいと思う。

明日も生きなければならないから今日は寝なければならない。寝れば何かいいことがあるかもしれないというわけでもないのだが、睡眠は甘美なものである。布団は誰でも受け入れてくれる。これほど寛大で、ありがたいものはない。

今気づいたのだが、寛大であるというのは、布団のようであることを言うのである。誰でも受け入れる。自分は冷たくも温かくもない。温かくなるのは、そこに入ってくる他者の力である。自分自身はほとんど何もしない。しかしこの「ほとんど」というのがミソであって、そこに本質が集約されている。他者が自分自身の持つ力を自然に発揮させるのである。これほど偉大なものはなかなかないだろう。

さあ、首も痛いことだし早く寝ようと思う。明日ができるだけ良い日になることを祈って。